同人界隈におけるコミュニケーションのとり方とか
私は同人女だ。
古くからの同人女である。
同人の世界に足を踏み込んで、早10何年ほど経つが年を重ねるごとに色々な作品に触れられ、若い人の感性や、表現の豊かさが年々上昇していく傾向に随分と世界は楽しいことになっていくなあと日々感心することが多くある。
そんな中、付き合いもかなり多いほうではある私の友達から、こんな相談を受けた。
「最近ハマったジャンルの人たち、フレンドリーなのはいいんだけどさあ……」
つまりはこうだ。
Twitterが普及している今、人とのつながりは簡単に出来るようになったのだが、その弊害として距離感がバグってるひとが多いとのこと。
確かに最初からフレンドリーを履き違えた人が、稀に存在するのも確かなのであるが、「適当に一言返せばいいんじゃないのかい」って言ったところ、「そういう人に限って自分の距離感が麻痺ってることに気づかないんだよ」という言葉が帰ってきた。
言われてみれば確かにそうなのだ。
そもそも、一定の距離がある人間相手だったら、そんな愚痴など出てくるわけがないのだから。
で、話は戻る。
最近同人界隈も昔と違って若い人たちがほいほいと軽く進出してくることもあり、繋がってみたら実は未成年で、しかもまだ15歳だったという事例が私にもある。
普通に話をしていた時に、「私4月に高校生になったばかりなんだ」というリプライに飲んでいたストロングゼロの缶を思い切り握りつぶしたことをふと思い出したが、そのくらいにネット上での付き合いというものに垣根というものが段々と薄れてきているのは事実であると思う。
確かに垣根はなくなってきているとは思うが、パーソナルスペースというものをめちゃくちゃ大事にしている人もやはりいるわけで。
友人は来る者拒まず精神の割と寛大で私よりは人に好かれる傾向の強い、今どき女子っていうよりはしっかりとしたお嬢さんという感じなのだが、そういう人ですら「いやだ」と思うのだから相当なのだろう。
どういう傾向の人が嫌だと思われるのか、というのを話していてこういうことなのかなと思うので、とりあえず書き出していこうと思う。
ちなみに私の主観も入るので異論は認めるが、突撃はしてこないで欲しい。
命は惜しい。
1.こちらが言い出す前から勝手にフレンドリー
フレンドリーっていうのはなにも最初からちゃん付けとか、タメ口で話していいという指標ではない。
「仲良くなろう」とか「気負いしなくてもいい」という意味合いで考えている人もいるが、それはあくまでもかしこまり過ぎたものではくて、気軽に話をしたいというだけである。
故に「初対面だけど、砕けた会話をしてもいい」などといったことではなく、あくまで「自分に対してはそんなにへりくだる、かしこまるようなそんな気遣いはしなくてもいい」という話なのだが、もっとニュアンス的にわかりやすく言うなら、「ド底辺の平社員が他社の大企業の社長クラスの上層部の人間に話すような感じじゃなくていい」という感じだ。
ちなみに若い人、特にまだ社会で目上の人間とサシでやり合うことがない人に言っておこう。
相手が成人済と書いている人で、よほど相手が寛大でない限りは最初から敬語を外した口調でリプライを飛ばすのはオススメしない。
あとはわりと第一印象を誤魔化せても、後々の付き合いで化けの皮を剥がされたくなければ一応の節度は持っておくべきである。
最初はどんな相手でも「初めまして」であり、お前の友達ではないと思え。
最初の一言で自分の印象が決まる。それが成人になってからの当然の儀式なのである。
考えてみてほしい。
初対面の人間と、会って数秒で仲良くなれると思うか?
答えはNOだ。私なら繋がったとしてもそいつとの距離は縮めない。
メリットが発生した時のみだけの付き合いになる。
ろくでなしと言われるのは必須だろうが、毎日ストレスをかけられて過ごすよりは随分割り切った付き合いになると思っている。
精神衛生上よろしくないものはネット上の付き合いでしかないのだから省いてしまえばいいのだ。
ただしやられたほうが気に食わないだろうが、距離感を誤ると8割こうなる。
それがオタクという習性を持った人間であり、オープンに見えても実際はクローズドピープルなのだ。
だから最初に話しかける側は、相手から「呼びタメしましょう」というGOサインが出ない限り、敬語を外さずにまずは同じテーブルに座って話すという前提を省かない方が身のため。
条件を提示しないのは、悪手なのである。
ちなみに万人がとは言わないが、最初から呼びタメしてその後の自分に対する反応が悪いと思ったら、「馴れ馴れしいなコイツ」って思われて距離を取られてると思ったほうがいい。
自分が仲良くなりたいから敬語を外しているスタンスであったとしても、相手はそうではない。
その時点で他の人との差が付けられる。巡り巡って自業自得にしかならないのだ。
2.なんでもかんでも関わり持とうとしてくる
Twitterで見られがちだが、フォローしてる相手のツイートに何でもかんでも反応すればいいというものではない。
基本それで認知してもらえることもあるが、そんなものは稀である。
相手も人間なのだし、仲のいい知り合いという枠組みは少なくとも存在しているのだ。
ただ、その仲が良いというのにも悲しきかな、ルールというものがあるわけで、よほど絵がうまいとか漫画がうまいとかそういった内容が含まれる相手でない限り、ゼロから始めなければならない。
そういったスキルの上乗せで出来ているだけなので、話しかけているだけでは「相手にすらされない可能性もある」。
必死に話しかけていても、相手にしたらその行為自体が逆効果にしかならないのだ。
考えてみてほしい。
友達と仲良く盛り上がっているところに、そんなに付き合いもしてない人間がいきなり割って入って来られたら冷静にならないか?
仲良くなりたいのはわかるが、どう足掻いてもたどり着けない場所がある。
けれどもちゃんとした話をできれば、ちゃんと人は見てくれるのである。
「お前、ちゃんと相手が関わってほしいという歓迎オーラを出してくれるほどの会話してるか?」
これなのだ。
3.リプライの質
言い方はアレで申し訳ないのだが、敢えて言おう。
語彙力が低いリプライと、返答に困るリプライは全く意味が異なる。
前者はいいものを前にした時に、「尊い」などの言葉しか出なくなることを言うが、後者はどう返すべきか迷うような質の悪いものを指す。
前者であれば、尊いのあとに言葉が上手く出せなくてもある程度のことを予想して相手が汲み取って返してくれるものだが、後者はわかりやすく「反応すらない」。
元々Twitterrという物自体は呟くのが主体であって、交流がメインではないのであるが、昨今はそういう反応が見えやすいことで多様されていることもあって「反応」というものが至極当然のようにわかりやすくなっている。
それによって、他者との格差も浮き彫りになるのだが、ふとその格差はどういう格差になっているのか考えてみてほしい。
自分はちゃんと感想も言ってるし、ちゃんと伝えたいことも伝えてる。
けれども他の短くて感想もなんも言ってない、尊いとしか言ってないやつが何でこんなに反応返してもらってるのか。
みたいな考えを持ってる人。
それは危ない考えだから早々に手放したほうがいい。
一歩間違えば面倒な人間としか認識されないぞ!!!!
だってその人より仲良くもない、関わりが薄いという条件があったらわかるはずである。
仲良くなるにはそれ相応のタイミング、スキル、それらが必要なのであって、タイミングを逃してしまえばどれだけ内容が濃いリプライを送ろうとも「度が過ぎたものは気持ち悪い」となる危険性すらあるのだ。
言葉を選ばないで送るリプライは、本当にお互いが認知していてこそ初めて成り立つものなので、迂闊に手を出さない方がいい。
いいねも飛ばしすぎると人によっては怖がられるぞ。まじで。
コミュニケーションのとり方は千差万別であるが、何事も順序を省いて仲良くなるというのは稀であり、そういう人間と巡り会えるのは奇跡なのだ。
他者との距離の度合いは測るのは難しくとも、一足飛びでやられて侵入者扱いされるよりはマシだと思って、ちょっと考えてみてほしい。
これから新しく繋がりを持とうとしてくれている人へ送る内容は、送信する前に今一度見返してみてはいかがだろうか。
とりあえず、呼びタメはお互いに確認が取れてからにしたほうがいいとは思う。
以上。